ルールを守るのは大切なことです。
しかし、そのルールを強制させることが、いいことか考えてみましょう。
横入りをした人に注意しにいったり、赤信号で渡る人に注意をしにいったりと。
いわゆる「正義感が強い」と言われる子供です。
目次
ルールに柔軟性がない
緊急性や、例外というのが全く融通がきかなくて、そのルールをお友達に押し付けてしまうことです。
- お腹が痛くてトイレに行くために廊下を走っている
- 座ってはいけないときに体調が悪くて座っている
- 年下だからルールを優しくしてあげる
本来は決まったルールがあったとしても、時と場合というものが存在します。
- 赤信号で渡ってはいけない
- 列に横入りしてはいけない
- 制服を崩して着てはいけない
このように守らないといけないルールもあります。
そのルールを守っていない人に何も考えずに「ダメだよ!!!」と注意をしにいってしまったりします。
相手が大人であっても、上級生でも下級生でも、怖そうな人であっても、誰にでも後先を考えずに行動してしまいます。
白黒思考(0,100思考)
正論が正解というわけではない、ルールは社会や関係を守るためにある、ルールのために人間がいるわけではないと理解がしにくいのです。
「ルールがあるんだから、こうでしょ!」と正義を振りかざして、周りにもルールを強制してしまおうとするときもあります。
どうしても許せない!どうしても直接注意しないと気が済まない。
そして、その正義が白で守らない人が黒と決めてしまうのです。
どちらが合っているのかを、はっきりさせないと気が済まない場合が多く、お友達とぶつかるときもあります。
相手の人格を否定してしまうほど攻撃的になってしまう子もいます。
結果的に嫌がられたり、生きづらくなってしまったり、苦しみを抱えてしまったりします。
しかし、学校の先生には気に入られる事があったりします。
なぜなら勝手に憎まれ役をしてくれるからとか、決まりをみんなに伝えてくれる、良い子だという判断になってしまうときがあるからです。
許せない!のは自分にも言えること
金曜日に上履きを持って帰るルールがあって、もし、子ども本人が持ち帰りを忘れるとします。
そうなるとルールを破ってしまった子と、自分で決めてしまうのです。
そして、ルールを破ってしまったことを自分で許せずに泣いてしまうとか、癇癪を起してしまったりと。
ルールに柔軟性がないというのは、自分自身も苦しめることになるのです。
知らなくて慣れていなくて、間違ってしまったときでも、本来はこうするべきだったということにも厳しい傾向があります。
それは、自分にも当てはまっていくのです。
正義感の押し付けを自分がどう思うか
知り合いの中学生お子さんがこの傾向が強かったのです。
そのお子さんはアスペルガーの傾向があると診断されていました。
私と私の友達お子さんとお子さんのお母さんと、4人で1日一緒に過ごしました。
そのときにルールを強制するということを実行しました。
例外はなくルールを破った時は強制しますし、怒りもしました。
喧嘩もたくさんしました。
わざと友達にルールを破ってもらって、お子さんに怒ってもらったりもしました。
そのときに負けずに、お子さんであっても私であっても、ルールを強制するということしてもらいました。
1日を過ごした後お子さんに聞いてみました。
これって不思議じゃないですか?
似たような傾向なのに仲良くはしたくないのです。
これは自分が何かしたときに、怒られそう・責められそうだと感じてしまうのです。
怒る、罰するのは自分ではない
例えば、自分が怒らないといけないときがあります。
風紀委員や、生徒会長や、生徒をまとめる役割になると、生徒に注意をしないといけない場合があります。
でも、全てのことを罰するのは「その子」ではないのです。
自分が意味も分からず怒られた時「どんだけ上から??」と思ってしまうこともありませんか?
言い方として「~だからダメなんです。すいませんが・・・」と言われれば納得もできますが「これだからダメなの!わかった!!?」などと正義を振りかざした言い方であれば、素直に受け止められないこともあるのです。
個人の感性は色々でルールをいうものを守るべきなのはわかります。
そして、守っていない大人や子供に対して、怒りを覚えるのも分かります。
例外や関係性、環境、状況など、察する力がないわけではないですが黒か白かに、集中してしまって決めてしまうのは本人にとってもつらいことです。
話をきいてほしいときはどうするか
本当の凄腕の詐欺師の方がどうするかご存知ですか??
まず、相手を信頼させることから始めます。
その期間が何年でも話をし、遊びに行き、相談をされたりして
- 「信頼関係」
- 「相手に好かれる」
- 「尊敬される」
を作っていくのです。
そうすることによって、相手が話を聞いてくれるようになります。
動物でも突然近づいたりすると逃げていきます。(野生に限る)
本能的な部分ですが、自分の話を聞いてくれるはず!が基盤ではないのですね。
大人でも全然知らない人に道で声をかけられたら警戒しますよね??
それは友達だったり知り合いだと、立ち止まって話をしたりしませんか?
本当にこれと一緒です。
でも、この当たり前だともいえる「信頼」関係が関係あるというのは子供にはないのです。
これって教えてもらえないことなんです。
大人もこれが当たり前なのでわざわざ教えません。
お友達を仲良くするってそもそも、どうしたらいいのか?ってことです。
- 挨拶をするのはなぜなのか。
- 貸してと声をかけるのはなぜなのか。
- ありがとうというのはなぜなのか。
- ごめんなさいという意味はなぜなのか。
- 一緒に遊ぶ意味はなんなのか。
- お名前を覚えるのはなぜなのか。
なんとなく親がしているからだとか意味を分からずに、挨拶をしたりしている子供も多いです。
息子には「自分を知ってもらうための最初の挨拶だよ」と伝えています。
どこから、どこまでの線が仲がいいのかというラインですら、人それぞれです。
また、このルールを強制する子供にはもう1つ傾向があります。
自分と他の人の境界線がわからない
自分は自分。
人は人。
これは息子も分かりにくいところです。
それは息子が思った事であって、その思いを相手に強制することではありません。
相手には相手の意見があって、それが正しいと自分が思わない時は、自分がしなければいいのです。
でも、それを相手に「悪いことだからダメなんだよ!」というのはたんなる押し付けになるのです。
ここは本当に難しくて大人でも出来ていないときもあります。
集団になればなるほど集団意識の塊になり、意見が1人歩きをしてしまう時すらあります。
ルールはなぜ出来たのかを教えてあげる
勉強で「板書」をすることに精一杯で、先生の話を聞くことがおざなりになるように、ルールを守ることで必死になるとなぜルールが出来たのか、なぜルールを守らないといけないのかという大切なところを見落とします。
ルールはだいたい例外があります。
それは私利私欲のために破る人であっても、なんらかの考えがあってルールを破るわけです。(ルールは破らない方がいいのですけれど)
ルールが先にあるわけではなく人間を守るために、ルールが存在すると根気強くおしえていくこと。
自分と他人とは考え方も全て違うと、理解することも必要な要素だと思います。
線引きが上手くいかなければ、どうしても「私がこうなのに、なんで守らないの?」となってしまいがち。
そこを自分は自分、他人は他人、だから違う事もあるし違って当たり前と割り切ることができればいいでしょう。
また、基礎となる
- 「信頼関係があるのか」
- 「相手に好きだと思ってもらっているか」
- 「尊敬をされているか」
などの基盤が整っているのか。
また基盤を作る努力をしているのか。
とっても難しいことですが人間って基盤がないと、人な話を聞くことが出来ないかたが多いです。
専門的な方にお話を聞くときは尊敬とかがあっても、人間的に好きじゃないとなると、話が入ってきにくいですし疑心暗鬼になってしまいます。
本来、ルールとは誰かに言われて守るものではなく、自分で選んで自分で守るものです。
それを強制する事は誰にもできないことなのだと思います。
「信頼関係があるのか」
「相手に好きだと思ってもらっているか」
「尊敬をされているか」
その努力を怠っていないかを、私も日々確認していきたいとおもます。
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