「発達障害かもしれない」と言われたときに、すんなり受け入れられる人はなかなかいないと思います。
なんとなくそんな気がしていても、さらっと受け止められる人はなかなかいません。
それが、園から言われたとしても、専門医さんから言われたとしても、受け止められないのが当たり前なのではないかと思います。
なんとなくほっとした気分はあっても、これからのことや将来を考えると、不安になったりするのが当たり前ではないかと思います。
診断されるまえ
なんとなく他の子と違うかもしれない。
なんとなく大変な子かもしれない。
- でも、これが普通だし。
- 躾でなんとかなる。
- 愛情を注げばなんとかなる。
そう思いながら育児をしていましたが、どこかで気付いている違和感はぬぐえないのです。その違和感がどれだけ小さくても、いつかは目を出してしまったり。
- でも認めたくないし
- でも認めたい気もするし。
- この子は普通だし。
- この子は難しいだけだし。
正直、検査を受ける前はちゃんと直視は出来ていませんでした。
いや、正確にいうと検査をうけてしばらくは、受け止めることは出来ませんでした。
なんとなく、そうかもと思っていても信じたくない気持ちが、勝っていたのです。
発達検査を受けてから
発達検査をうけるまでの待つあいだ
- 「なんかの間違い」
- 「でもやっぱりおかしいのかな」
- 「普通の子じゃないのかな」
- 「育て方を間違ったのかな」
そんな自問自答を繰り返しました。
いざ、検査を受けて「自閉症かもしれません。様子見で」と言われた時に、何かの間違いではないの?と思いました。
違う所で検査を受けたいと思って予約をいれても、半年まちは当たりまえで「今」受けることは出来ませんでした。
結局、発達検査を受けた後ですら、しっかりと受け止めきれてなかったのです。
どこか間違っているのではないか?
なにかの間違いではないのか?
子どもは普通であって自閉症とか障害ではない。
やっぱりか。
私が悪かったわけじゃないのか。
仕方ないのか。
そんな不安と安堵の気持ちもありました。
これからこの子は普通になれないのかな?
将来どうしていくのかな?
私が先に死んだら、この子はやっていけるのかな?
イジメとかあったりしないかな。
と、将来を心配するようになりました。
療育にいくと決まっても、それでも信じられない気持ちがあり、私は半年は行かなかったのですが、どんどんお友達との関わりが難しくなっていく息子を見て「私の気持ちばっかりじゃだめだ」と思って療育に通いました。
受け止められないのは当たり前
普通に妊娠をして、普通に出産をして、普通に育児をして、普通に子供って大きくなっていくと、私も思っていました。
だって、それしか事実がないから。
そのあとの支援についても地域で格差があります。
そばにいるお母さんが受け止めるって、本当につらいし大変だし、簡単なことではないのです。
大切に思う子供だからこそ、簡単に受け入れられないこともやっぱりあるのです。
だから、そこをお母さんが自分を責めることはないのです。
信じられない自分がいることを、まずお母さんが自分で認めることが、大切だと思います。
信じなきゃいけないお母さんだから。
子どものためにお母さんが支援しなきゃいけない。
こんなきれいごとはたくさん聞きます。
確かにお母さんの理解は子どもにとって必要なのです。
子どもの成長にとって、お母さんやお父さんの理解はとっても、とっても大切。
でも~しなきゃいけない。という思いから、自分の気持ちを認めないのは、また少し違うと思うのです。
そう思って当たり前。
大切な子供だし可愛い子供。
なんで私だけ、こんな思いをしないといけないの?って怒りを感じても当たり前。
いいなぁ。障がいが無い子って。そんな風に定型と呼ばれる子を見て、羨ましくおもって当たり前。
だって、普通だと思っていたから。
まずはお母さんの気持ちに、気付いてあげてほしいと思います。
そして、そこをちゃんと満たして、ケアをしていかないと、子どもと向き合うのも「義務」になりかねません。
○○ちゃんのお母さんである前に、お母さんも1人の人間なので、想いとか考えを認めてあげてほしいとそう思います。
それで私が遠回りをしたのです
私は息子の為にと療育にかよいました。
療育はお母さんのためでもあると書きましたが、そこに気づくまで1年ほどはかかったはずです。
- 子どもを療育してくれたらいいや。
- 子どもの為だから。
- 私の困りごとなんて話しても仕方ないやん。
そう思って通うと、療育って何のために通っているのか分からなくなったのです。
療育はすぐに効果が出る事ではないので、信じられなくなることもあるのです。
でもふと1ヶ月前、3か月前、半年前の子どもと比べたら、全然変わってきている事に気付けます。
ただお母さんの気持ちも、ちゃんと吐き出せる場所がないと、お母さんが潰れちゃうのです。
私が実際、無理して療育にかよって「これって意味あるの?」って感じていた時「でも母親だしちゃんとしなきゃ」とか「息子の為だし、通わなきゃって」義務感で通っていて、本当につらかったです。
グループ療育だったため、他の方の困りごとを聞いても「なんか別に大変じゃなさそう」とか失礼ながら思っていました。
自分の気持ちにちゃんと気付けたときに、初めて他の人に「しんどいんです」って伝えられたのです。
これは育児の限界が近いかたもそうだと思います。
自分の大変さや、しんどい気持ちを隠しきれなくて、感じてしまうといった状態です。
どんな形であれ、自分の気持ちに気付けないとSOSも出せないのです。
知らないうちに、育児ノイローゼになっているかたも義務感や、ちゃんと躾けなきゃとか、固定概念に縛られてしまったりしたり、周りから責められて、自分の気持ちを隠してしまっているかたが多いのです。
お母さんが泣いたり、弱音を言ってはいけないと誰が決めたのでしょう。
お母さんはいつも明るく気丈でないといけないと、誰が決めたのでしょうか?
もちろん周りの環境で、言えないというお母さんも多いと思います。
言えない環境であるなら、せめて自分で自分を否定したり、ダメなお母さんだと責めることなく、自分をよしよしとしてほしいのです。
まずはお母さんのケアをしてほしいと、ずっと思っています。
義務ではなく、子どもとお母さんの育児を楽しんでほしいと思うのです。
子どもの発達障がいを、まず最初からすんなりと受け止められる人って、なかなかいません。
苦しんで折り合いをつけている、お母さんが多いと思います。
つらいって思っても、大変だと思っても、なんで!?って思っても当たり前。
だから1人で抱えないようにしてほしいです。
お母さんも人間。
ロボットじゃないので感情があるのです。
大丈夫。
まずは自分で自分を認めてあげて下さいね。
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